『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』を見始めると、まず戸惑うのが独特の世界観だと思う。
電脳、義体、ゴースト、AI。聞き慣れない言葉が次々と出てくるうえ、登場人物たちは詳しい説明もないまま、それらを当たり前のものとして使っている。
でも、この世界で暮らす人たちにとっては、それが普通なのだ。
脳をネットワークへつなぎ、失った身体を義体で補い、AIと同じ社会で生活する。こちらから見ればかなり未来的な技術でも、作中では仕事や医療、通信といった日常の中へすでに入り込んでいる。
今回は事件や物語を追う前に、SACの世界では人々がどんな暮らしをしているのかを見ていきたい。
電脳化すると、脳そのものがネットにつながる
SACの社会を理解するうえで、まず大きいのが「電脳化」だ。
人間の脳を機械へ置き換える技術ではなく、生身の脳へ電子的な機能を加え、ネットワークへ直接接続できるようにする。現在ならスマートフォンやパソコンを通して行っている通信や情報のやり取りを、もっと身体の内側へ取り込んだものと考えると分かりやすい。
作中では、目の前にいる者同士が声を出さずに会話する場面も珍しくない。電脳を通じて直接通信できるため、周囲には聞かせずに話を続けられる。
情報へアクセスするために、毎回端末を取り出す必要もない。ネットワークと人間の距離そのものが、今よりずっと近くなっている。
ただし、誰もが同じ程度に電脳化されているわけではない。技術が社会へ広く普及していても、人によって使い方や身体との関わり方には差がある。
ここですでに少し不思議な感覚がある。ネットにつながるための機械を「持つ」のではなく、自分自身がネットにつながる社会とは、どんなものなのだろう。
義体化すると、身体も交換できるものになる
電脳化が情報との距離を変えた技術だとすれば、義体化は身体との関係を大きく変えている。
失った腕や脚を人工物で補うだけではない。必要に応じて身体の一部を義体へ替えることもできれば、草薙素子のように、生身の脳を残して身体のほとんどを義体化した人間もいる。
現在の感覚なら、義手や義足は失った機能を補うものという印象が強い。しかしSACでは、それがさらに進み、身体そのものを交換・修理・拡張できる社会になっている。
素子が全身義体になったのも、便利さや強さを求めて大人になってから身体を替えたからではない。幼少期に事故で身体を失い、生きるために義体を使うようになったことが作中で示される。
義体は超人になるためだけの技術ではなく、失われた身体機能を補い、その後の人生を続けるための医療でもある。
身体のほとんどが人工物になっても、素子は一人の人間として生活している。では、身体のどこまでが自分なのか。SACの世界では、そんな疑問さえ日常のすぐ近くにある。
人間とAIが、同じ社会の中にいる
SACの世界にいるのは、義体化した人間だけではない。
生身に近い身体で暮らす人もいれば、身体の一部を義体化した人、全身義体の人もいる。その横では、人間の生身の脳を持たないアンドロイドやロボットも働いている。
公安9課で使われるタチコマも、その一つだ。人間が中へ入って操縦するだけの機械ではなく、AIによって自律的に考え、会話し、行動する。
この時点では、人間と機械の区別はまだ分かりやすい。人間は生身の脳を持ち、AIやロボットは人工的に作られた情報処理系を持つ。
ただ、タチコマたちを見続けていると、その区別だけでは少し落ち着かなくなってくる。
同じ機械として作られたはずなのに、経験によって振る舞いに違いが生まれ、やがてそれぞれに個性があるようにも見えてくる。
それを人間と同じものと呼べるのかは、まだここでは考えない。ただ、SACの社会には、人間と人工的な存在がすでに同じ場所で暮らすための土台ができている。
便利になったぶん、人間の内側まで狙われる
電脳化や義体化によって、人間のできることは大きく広がった。
遠くにいる相手とも直接つながれる。失った身体を補える。情報へ素早くアクセスできる。技術だけを見れば、とても便利な社会だ。
その一方で、新しい危険も生まれている。
ネットワークにつながった電脳は、不正に侵入される可能性を持つ。ゴーストハックによって認識を操作されたり、本人が信じている記憶そのものへ干渉されたりする事件も起こる。
現在なら、ネット犯罪と聞いて最初に思い浮かぶのは、アカウントや金銭、個人情報を盗まれることだろう。SACでは、その侵入先がさらに人間の内側へ進んでいる。
自分が見たものは本当に見たものなのか。覚えている出来事は、本当に自分の記憶なのか。
便利になるほど、守らなければならないものも増える。SACの未来は、技術によって問題が消えた世界ではなく、新しい技術に合わせて問題の形まで変わった社会として描かれている。
世界が変わっても、人の暮らしは続いている
ここまで見ると、SACの社会は現在とはかなり違う。
脳はネットにつながり、身体は交換でき、AIが人間の隣で働く。犯罪さえ、人の記憶や認識へ直接入り込むところまで進んでいる。
それでも、そこで暮らす人々を見ていると、意外なほど今と変わらない。
仕事へ行き、誰かと話し、病気になり、年を取り、金に困り、争うこともある。家族や仲間を大切にする人もいれば、自分の利益のために他人を利用する人もいる。
技術によって暮らしの形は大きく変わった。でも、人間の営みそのものまで別のものになったわけではないように見える。
身体を機械へ替えられるようになっても、人は身体について悩む。どこにいてもつながれるようになっても、人間関係の問題はなくならない。大量の情報へ触れられるようになっても、何を信じるのかは結局その人に残される。
SACが描く未来は、私たちとはまったく別の生き物が暮らす世界ではない。
今とよく似た人間が、電脳と義体という新しい道具を手にして、それでも同じように生き続けている。
だからこそ、この世界を見ていると次の疑問が生まれる。
身体のほとんどを機械へ替えても、人は人として暮らしている。一方で、生身の脳を持たないAIにも個性のようなものが見え始める。
では、この世界で人間を人間のままにしているものは何なのだろう。
『攻殻機動隊』では、その問いの近くに「ゴースト」という言葉がある。
