『新世紀エヴァンゲリオン』を初めて見たとき、使徒が何者なのかはよく分かりません。人類の敵だと説明され、碇シンジはエヴァに乗って戦うよう命じられる。視聴者にとっても、最初の印象は「巨大ロボットと戦う怪獣」に近いでしょう。
理由は分からない。それでも、倒さなければ人類が滅びる。シンジも視聴者も、その前提を十分に理解しないまま、使徒を敵として受け入れていきます。
けれど物語が進むにつれて、その境界は少しずつ揺らぎ始めます。使徒は本当に、人類を滅ぼすために現れたのか。人類より強いはずの使徒は、なぜ一体ずつ敗れていったのか。
使徒を見つめ直すと、そこに浮かび上がるのは敵の正体だけではありません。完成された使徒と、完成することのできないヒト。その対比から、ヒトという生命の強さと恐ろしさが見えてきます。
使徒は、乗り越えなければ生き残れない敵
接触を許せば、人類の生存が終わる。 正しさではなく、生き残るために排除しなければならない存在です。
一つの構造を持って存在する生命
人類を憎む悪ではなく、自らの形と行動原理に従い、 ただそこに存在している生命として見えてきます。
使徒は人類を倒すために来たのか
人類の側から見れば、使徒は明確な敵です。使徒が現れれば都市が破壊され、接触を許せば人類の生存そのものが危うくなる。生き残るためには、エヴァで迎撃するしかありません。
ただ、使徒の側から見ても、人類そのものが最初から目的だったとは限りません。人類を憎み、文明を滅ぼすために襲ってきたというより、地下に存在する始祖へ向かっていたように見えます。
人類のもとへ来たのではなく、目的地へ進む使徒の前に、NERVとエヴァ、そして人類が立っていた。人類は使徒の進路を阻む存在であり、使徒もまた、人類の生存を阻む存在になったのです。
使徒が地下の存在をどのように認識していたのか、すべての使徒が同じ目的を持っていたのかまでは明示されません。それでも、使徒を「人類を憎む侵略者」とだけ捉えると、その行動のすべてを説明することはできません。
人類にとっては侵略でも、使徒にとっては自らの構造に従った行動だったのかもしれません。宇宙的な視点に立てば、使徒もまた、自分に与えられた形のまま生きている一つの生命です。
善悪が先にあったのではありません。両者の生存が両立しないため、互いが敵になった。
人類が使徒を「敵」と呼んだのは、その存在が悪だったからではなく、 自分たちが生き残るために排除しなければならなかったからです。
使徒は仲間ではなく、一体で完結した生命だった
使徒は、同じ目的を持つ一つの勢力のようにも見えます。一体を倒せば次の使徒が現れ、同じ場所へ向かってくる。人類の側から見れば、仲間同士が順番に攻めてきているように感じられます。
けれど、使徒同士が協力する場面はほとんどありません。前の使徒を助けることも、その敗北を次の使徒が共有している様子も描かれない。それぞれが単独で現れ、自分に備わった能力と行動原理だけで目的地へ向かいます。
使徒には、そもそも群れる必要がないのでしょう。一体で生きられ、一体で戦い、他者から何かを受け取らなくても、自分の生命を維持できる。
人間が一人では完結できないから孤独を感じるのだとすれば、使徒には孤独という概念そのものが必要なかったのかもしれません。
一体で完結する生命
- 他者や共同体を必要としない
- 一つの本能と行動原理に従う
- 自分の形だけで生命を維持できる
- 与えられた構造を、そのまま世界へ押し出す
他者との関係で生きる生命
- 一人では生命として完結できない
- 他者から知識や技術を受け取る
- 異なる意思を共同体の中に抱える
- 関係によって、自分の形も変化していく
使徒は、自分の本能を疑っているようには見えません。強い意志によって行動を選んでいるというより、その生命に備わった原理が、そのまま行動になっているように見えます。
姿も能力も一体ごとに異なりますが、それぞれが一つの原理だけで成立している点では共通しています。
使徒とは、自分の形と行動原理を、そのまま世界へ押し出す生命だったのではないでしょうか。
使徒との接触は、外側から内側へ移っていく
物語の前半では、使徒との戦いは主に物理的な侵入として描かれます。使徒が外部から現れ、都市の防壁やエヴァの装甲を突破しようとする。人類は、その進行を武力によって阻止します。
ところが物語が進むにつれて、視聴者に見える接触の形は少しずつ変わっていきます。身体を侵食し、人・エヴァ・使徒の境界を曖昧にし、やがて人間の精神そのものへ触れるようになる。
これは、使徒同士が情報を共有し、一つの作戦として接触方法を変えたことを意味するわけではありません。それぞれの使徒が、異なる形と能力を持って現れた結果として、物語の焦点が人間の外側から内側へ移っていくのです。
外部からの侵入
都市や防壁を突破し、目的地へ物理的に近づいていく。
身体への侵食
エヴァへ入り込み、人・エヴァ・使徒という分類を揺らす。
精神への接触
シンジ、アスカ、レイの内面が、接触を通して露出していく。
人間の姿を持つ使徒
最後には、言葉を交わし、個人として関係を結ぶカヲルが現れる。
後半の使徒が、人間を理解するために精神へ触れたと断定することはできません。接触によって現れる声や問いが、使徒自身の意思なのか、人間の心が表面化したものなのかは分けきれないからです。
使徒が人間へ問いかけているようにも見える。同時に、人間が使徒との接触をきっかけに、自分自身へ問いかけているようにも見えます。
それでも、使徒との戦いが単なる怪獣退治ではなくなったことは確かです。使徒を知ろうとしていた人類は、その接触によって、恐怖や孤独、他者への渇望という自分たちの内側を見せられていきます。
使徒は人間の内面を説明したのではありません。
その境界へ触れることで、人間が隠していたものを露出させました。
エヴァ3号機が壊した「人・エヴァ・使徒」の境界
第18話「命の選択を」では、使徒バルディエルに侵食されたエヴァ3号機が、初号機の前に現れます。
3号機の中にはパイロットが残されています。シンジにはその正体までは知らされていませんが、人間が乗っていることは分かっている。だから、相手を使徒として攻撃することができません。
一方、NERVの作戦上では、3号機はすでに人類を脅かす殲滅対象です。人間が搭乗していても、使徒に侵食され、敵として機能している以上、排除しなければならない。
人間が乗っているエヴァ
攻撃すれば、中にいるパイロットまで傷つけてしまう。 シンジにとっては、倒す前に救わなければならない存在です。
エヴァ3号機
人間/エヴァ/使徒排除すべき使徒
人類を脅かす対象として機能している以上、 搭乗者の存在とは切り離して殲滅しなければならない。
同じ3号機を見ていても、シンジには救うべき人間が見え、NERVには排除すべき使徒が見えています。どちらか一方だけが、3号機のすべてを表しているわけではありません。
人が乗っているから人間なのか。エヴァの姿をしているからエヴァなのか。使徒に侵食され、人類を攻撃しているから使徒なのか。3号機は、そのどれか一つに分類できる存在ではなくなっています。
シンジが攻撃を拒んだことで、ゲンドウはダミーシステムを起動します。迷いを抱えるシンジの意思を切り離し、3号機を殲滅対象として処理することで、強制的に答えを出したのです。
ここで揺らいだのは、使徒の正体だけではありません。人間と使徒、味方と敵を明確に分けられるという、人類側の分類そのものです。
味方と敵は、その存在だけで決まるのではありません。
誰が、何を守ろうとしているかによって、同じ生命の見え方は変わります。
カヲルは、使徒の原理を越えたのか
最後の使徒として現れる渚カヲルは、それまでの使徒とはまったく異なる姿をしています。人間と同じ姿を持ち、言葉を交わし、音楽を好み、シンジの孤独へ直接触れていく。
シンジにとってカヲルは、使徒である前に、自分を受け入れてくれた一人の人間でした。なぜカヲルがシンジへ強く惹かれたのか、その理由は明確には説明されません。
ただ、重要なのは感情の理由よりも、その感情がカヲルの行動を変えたことです。始祖へ向かう使徒としての進路より、シンジという一人の人間の未来を残すことを選んだ。
第24話「最後のシ者」で、カヲルは地下にいる存在がアダムではなくリリスだと知ります。そこで自らの進行を止め、シンジへ選択を委ねました。
カヲルが人類という種全体を評価し、「人間のほうが生き残るべきだ」と判断したのかは分かりません。けれど、シンジとの出会いがその選択に関わっていたことは、二人の会話と別れから強く感じられます。
それまでの使徒は、自分に備わった本能と行動原理から外れていないように見えました。ところがカヲルは、他者との関係を理由に、自分が生き残る未来を手放します。
始祖へ到達し、自らの生命に与えられた原理を進める。
自分の生存を手放し、シンジたちへ未来を残す。
使徒が一つの完成された生命原理だとすれば、カヲルはその原理だけでは決まらない行動を選んだことになります。
他者へ触れたことで、自分に与えられた本能とは異なる未来を選ぶ。その瞬間、カヲルは使徒の中で初めて、別の可能性へ分岐した存在になったのかもしれません。
カヲルが人間に近づいたのは、人間の姿をしていたからではありません。
他者との関係によって、自分の生き方を変えたからです。
使徒は強い。しかし可能性を持たない
使徒は、生命として完成しています。一体で生きることができ、自分に備わった能力と行動原理だけで存在を維持できる。
けれど、完成しているということは、別の形へ変わる必要がないということでもあります。他者から学ぶ必要もなく、自分とは異なる意思を受け入れる必要もない。
仮に一体の使徒が始祖へ到達し、自らの目的を果たしたとしても、その先に無数の未来が生まれるわけではありません。その使徒の原理が満たされ、ただ一つの生命として存在し続ける。
使徒は強い。しかし、その強さは一つの形の中で完結しています。
使徒
一つの形と原理で完結し、変化しなくても生きられる。
未来は、一つの原理の先へ続くヒト
一人では完結できず、他者との関係によって変化する。
未来は、人の数だけ分岐する人間は違います。一人では弱く、他者を必要とし、考え方も望みも一致しません。
だからこそ、誰かの知識を受け取り、失敗を次へ残し、自分とは異なる選択によって未来を変えることができます。
人類が使徒を乗り越えた理由は、一人ひとりが使徒より強かったからではありません。不完全な個体が互いに異なるものを持ち寄り、一つの生命には生み出せない分岐を作れたからです。
使徒は強いが、可能性を持たない。
人間は弱いが、人の数だけ可能性を持つ。
人類は、敵の力まで自分たちの構造へ取り込む
人類は、使徒をただ倒してきたわけではありません。現れた使徒を観測し、能力を分析し、名前を付け、その情報を次の戦いへ受け渡していきます。
個体として見れば、ヒトは使徒より弱い。けれど人類は、敵との接触によって得たものを、記録や研究、技術として蓄積できます。一人が知らなかったことを、組織全体の知識へ変えられるのです。
E計画によって生み出されたエヴァも、その延長にあります。人類は使徒から逃れるだけではなく、自分たちでは持ち得ない生命の力を、人間が運用できる構造として再現しようとしました。
初号機がゼルエルを捕食したのは、人間が命令した行動ではありません。しかしその結果、使徒が持つS²機関は、人類側にあるエヴァの内部へ取り込まれました。
この場面は、人類と使徒の関係を象徴しています。人類は敵を排除するだけでは終わらない。相手の構造を理解し、利用できるものは、自分たちの側へ組み込んでいく。
観測する
敵の姿、能力、行動を記録する。
構造を知る
生命の仕組みと、突破できる弱点を探る。
利用する
敵の力を、兵器や技術へ置き換える。
継承する
得た知識を、組織と次の世代へ残す。
ここに、人間という種の強さがあります。同時に、生命としての恐ろしさもあります。
使徒の怖さは、一体の強大な生命が迫ってくることです。近づき、破壊し、接触を許せば人類の生存を終わらせる。その脅威は、目の前にいる一体の身体へ収まっています。
人類の怖さは、個人の身体には収まりません。敵を分類し、生命を分解し、その力を技術や兵器へ変え、組織の中で継承する。誰か一人が消えても、そこで生まれた知識と欲望は残り続けます。
一人の人間が恐ろしいのではありません。人間が研究機関や組織、計画として動き始めたとき、生命を材料として扱う、止めにくい構造になるのです。
使徒は、自分の原理をそのまま世界へ押し出す。
人類は、他者の原理を回収し、分解し、自分たちの構造へ組み込む。
この力を個人ではなく組織として運用する構造は、 NERVとは何か でも詳しく読み直しています。
知恵の実を持ったヒトは、止まることができない
人間は、自分たちに与えられた弱さを、そのまま受け入れません。
使徒に対抗できないなら、使徒に近い生命としてエヴァを造る。エヴァに活動限界があるなら、無限に近い生命力を持つS²機関へ手を伸ばす。個体同士が理解し合えないなら、最後には個体という形そのものを作り変えようとする。
一つの弱点を克服しても、そこで完成にはなりません。できなかったことができるようになるほど、その先にある新しい限界が見えてしまうからです。
知ることは、可能性を増やします。同時に、今の自分に足りないものまで見えるようにします。
知恵の実を持つ生命が繰り返すもの
知る
足りなさに
気づく
構造を
作り変える
新しい限界を
知る
さらに
作り変える
一つの不足を満たすほど、次の不足が見えてくる。 この循環には、完成と呼べる終点がありません。
知恵の実を持った時点で、ヒトは止まることができない。それは一部の人間だけが抱えた異常な欲望ではなく、知り、比較し、今とは違う形を想像できる生命が、生まれながらに持つ宿命なのかもしれません。
その性質は、呪いであると同時に可能性でもあります。今ある形に満足できないからこそ、人間は弱さを補い、過去には存在しなかったものを作り、別の未来を選ぶことができる。
けれど同じ力は、生命を材料へ変え、自然に与えられた条件を書き換え、人間という形そのものまで改造の対象にします。
エヴァが描いているのは、知恵を持つ人間への単純な否定ではありません。未来を作る力と、どこまでも進んでしまう恐ろしさを、同じものとして描いています。
知恵の実は、ヒトに可能性を与えた。
同時に、完成を認めず、進み続ける宿命も与えました。
個体の弱さそのものをなくそうとした先にあるものは、 人類補完計画とは何か へもつながっていきます。
使徒は敗れ、人類は残った
ヒトの視点から見れば、使徒は乗り越えなければならない試練でした。けれど、使徒自身が人類を鍛え、進化させようとしていたわけではありません。
宇宙的な視点に立てば、使徒は一つの形と行動原理を持ち、ただ存在していた生命です。善でも悪でもなく、自分に与えられた構造のまま生きていた。
使徒は完成されていました。だから、変わる必要がなかった。
ヒトは不完全でした。だからこそ、他者を必要とし、知識を受け取り、敵の力まで利用しながら、自分たちの形を変え続けた。
人類が残ったのは、使徒より正しかったからではありません。完成することができず、止まることもできない生命だったからです。
使徒とヒトの違いは、善と悪ではありません。
使徒は敗北したのではなく、
変わる必要がなかった。
人類は勝利したのではなく、
止まることができなかった。
使徒とは何だったのか。
その問いを追っていくと、最後に見えてくるのは使徒の正体だけではありません。
完成を持たず、可能性と欲望を抱えたまま、 自分と世界の構造をどこまでも作り変えていく。
そこにあるのは、ヒトという生命の希望と恐ろしさです。
