『逆襲のシャア』で、アムロはシャアのアクシズ落としを止めようとする。けれど、アムロ自身が人類をどう変えるのか、どんな社会を作るのかを示すわけではない。
連邦政府が腐敗していることも、人間が同じ過ちを繰り返すことも知っている。それでもアムロは、人類に代わって未来を決めようとはしなかった。
その姿は、人間の可能性を信じる楽天家にも見える。反対にシャアから見れば、問題を知りながら何も変えようとしない、無責任な態度にも映ったはずだ。
ただ、アムロは人類へ関心がなかったわけではない。人間の弱さを消そうとせず、誰か一人の正しさによって未来が閉じられることを拒んだ。この記事では、シャアとの違いから、アムロが選んだ「未来を支配しない責任」を見ていく。
アムロは人類が変わると信じていたのか
アムロは、人類がやがて正しくなると信じて戦っていたのだろうか。作中のアムロは、人間の弱さを知らないわけではない。
連邦政府の鈍さも、大人たちの都合も、戦争が繰り返される現実も見てきた。人類の未来を楽観できるだけの材料は、ほとんどない。
それでもアムロは、シャアの結論を受け入れなかった。人間が簡単には変わらないことと、人間から未来を選ぶ権利を奪ってよいことは同じではない。
アムロが拒んだのは、シャアが見ている問題そのものではなく、その問題を理由に一人で人類の行き先を決めることだった。だから、アムロを「人類の善性を信じた英雄」として見ると少しずれる。
彼が守ろうとしたのは、人間が必ず正しくなる未来ではない。誰にもまだ決められていない未来そのものだったのだと思う。
アムロは人間を、ありのまま受け入れていた
シャアは、人類へ変化を求める。地球に残る者は特権を手放し、宇宙へ出なければならない。変わらない人間を前にして、最後には環境の方を変え、強制的に未来を動かそうとした。
それに対してアムロは、人間へ理想的な姿を求めていないように見える。
地球で暮らしているのは、連邦政府の上層部や特権を守る者だけではない。政治を動かす力を持たず、与えられた場所で生活を続けている人もいる。
欲望があり、間違いを繰り返し、すぐには変われない。それも含めて人間だと受け止めていたからこそ、アムロは人類全体を一つの性質へまとめなかったのではないか。
ありのままを受け入れることは、現状を肯定することではない。人間の弱さを消すために、人間そのものを切り捨てないということだ。
シャアには、アムロが無責任に見えた
ただし、シャアの側から見れば、アムロの態度には大きな欠落がある。地球は消耗し、連邦政府は変わろうとしない。人間は問題を理解しても、自分の生活や地位を手放そうとしない。
アムロもそれを知っているのに、人類をどう変えるのかという答えを示さない。シャアからすれば、自分の計画を否定するだけで、その先を引き受けようとしないように見える。
誰かが変えなければ、同じ状態が続く。いつまで待つのか。地球が取り返しのつかないところまで傷ついても、まだ人類の自由を尊重するのか。
この問いに対して、アムロは完成した答えを持っていない。だからシャアの言い分も間違ってはいない。
何もしないまま時間だけが過ぎるなら、未来を支配しない態度は、問題を放置する無責任さへ近づいていく。
人類を導かないことは、何もしないことなのか
アムロは、人類の指導者になろうとはしなかった。思想を掲げて人々を集めることも、政治の中心へ進んで社会全体を変えることも選んでいない。
けれど、現実から離れていたわけではない。
アムロがしているのは、人類全体を上から動かすことではなく、目の前にある仕事を引き受けることだ。機体を確かめ、仲間と動き、起きている危機へ自分の身体で向かう。
それはシャアのような大きな答えには見えない。世界を変える設計図でもない。
ただ、導かないことと、何もしないことは同じではない。アムロは他人の未来を設計しない代わりに、自分が止めるべきものからは逃げなかった。
人類の未来を作ってやる責任ではなく、誰かが人類の未来を勝手に閉じることを止める責任を引き受けたのだと思う。
シャアは未来へ介入し、アムロは未来を残そうとした
シャアとアムロは、人類が抱える問題をまったく別のものとして見ていたわけではない。二人とも、人間が身勝手で、簡単には変わらないことを知っている。
連邦政府へ期待できないことも、ニュータイプという可能性だけで社会が変わらないことも理解していた。違うのは、その先でどこまで未来へ介入するのかだった。
シャアは、放っておけば人類は変わらないと考え、自分が未来を動かそうとした。アムロは、人類が変わらない可能性を認めながらも、一人がすべての未来を決めることを拒んだ。
シャアは未来を作ろうとした。アムロは未来を残そうとした。
前者には、問題を見過ごさない責任がある。後者には、自分の正しさで他人を支配しない責任がある。二人の違いは、責任を持つか持たないかではなく、責任をどこまで引き受けるのかにあった。
シャアが人類から選択を奪おうとした理由は、別の記事で詳しく見ている。アクシズを落とした理由から見る↗
どちらの正しさも、極端になれば人間を傷つける
シャアの言い分にも、アムロの言い分にも正しさがある。何もしなければ状況は変わらず、問題を知りながら待ち続けるだけでは守れないものもある。シャアの責任感は、そこから生まれている。
一方で、正しい未来を知っていると考えた人間が、他人の選択まで奪い始めれば、その責任感は支配へ変わる。人類を救うという目的が、人類を切り捨てる理由になってしまう。
アムロの態度も同じだ。人間をありのまま受け入れ、選択を残すことは大切だが、それが極端になれば、何も変えないことを正当化する無関心へ近づく。
だから二人の対立は、正しい側と間違った側に分けられない。未来へ介入することと、他人の未来を支配しないこと。その間の線をどこに引くのかを、『逆襲のシャア』は二人の衝突として残している。
アムロが選んだのは、未来を支配しない責任だった
最後にアムロは、落下するアクシズを一人で押し返そうとする。成功する保証はなく、人類がこの行動によって変わる保証もない。それでも、ここで未来を閉じさせないために動く。
アムロは人々へ命令し、自分に従わせたわけではない。人類の進む方向を言葉で決めたわけでもない。
それでも、その行動を見た者たちは、自分の意思でアクシズへ向かう。
そこには、シャアが見限った人間の姿がある。命令されたからでも、正しい思想を教えられたからでもない。目の前で未来が失われようとしていることへ、それぞれが自分で反応している。
アムロは人類を導かなかった。けれど、自分の行動によって、他人が選ぶ余地を残した。
サイコフレームの光が広がったあとも、人類の問題が解決したわけではない。連邦政府は残り、人間はまた間違えるかもしれない。
それでも、未来は一人の絶望によって閉じられなかった。アムロは、人類が必ず正しくなるから守ったのではないと思う。
弱さも身勝手さも含めて人間を受け入れ、その人間が選び直す時間を残そうとした。シャアは未来へ責任を持とうとして、未来を支配した。アムロは未来を作ってやろうとはせず、未来を閉じさせない責任を選んだ。
それは楽天的にも、無責任にも見える。ただ、アムロが最後に守ったのは、人類の正しさではない。誰にもまだ決めることのできない、未来そのものだったのだと思う。
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