『逆襲のシャア』でシャアの行動が厄介なのは、ただ地球を破壊したいだけではないところだ。人類が地球に住み続ければ、環境は消耗していく。しかも地球に残る力を持った人々ほど、自分から特権や生活を手放そうとはしない。ならば地球を住めない場所にして、全員が宇宙へ出るしかない状況を作ればいい。
かなり乱暴ではあるけれど、シャアの中では一つの理屈としてつながっている。ただ、その方法で守られるのは、地球に暮らす人々の生活ではない。人間の活動から切り離された地球そのものだ。
シャアは人類が自分で変わるのを待たず、未来を先に決めようとした。人間を説得したのでも、選択肢を示したのでもない。アクシズを落とすことで、選ばなくても変わるしかない状況を作ろうとする。この記事では、シャアがなぜそこまで人間の選択を信じられなくなったのか、そして地球を守るという理想が、どうして多くの人間を切り捨てる暴力へ変わったのかを見ていく。
シャアが守ろうとしたのは、人間よりも地球だった
シャアは、人間が地球へ住み続けること自体を問題として見ている。地球に暮らす人々の生活を守りながら、少しずつ環境を変えていこうとは考えない。人類が地球を離れなければ、地球は休めない。だから、まず人間を外へ出す必要がある。
ここで優先されているのは、一人ひとりの暮らしよりも、人類全体と地球を長い時間で見たときの未来だ。その見方自体には、理解できる部分もある。連邦政府の上層部は地球に残る特権を守り、宇宙に暮らす人々との格差もなくならない。人間が自分から便利な場所や権力を手放さないというシャアの不信は、何もないところから生まれたわけではない。
けれど、地球を守ることと、そこにいる人間を守ることは同じではない。シャアはこの二つが両立しないと考え、人間の側を切り捨てる方へ進んでいく。
両手を広げて語るシャアの姿には、自分の計画を隠そうとする迷いがほとんど見えない。地球を休ませ、人類を宇宙へ上げることが必要だと、本気で考えているように映る。だからこそ、この計画を単なる狂気として片づけると、シャアがどこで人間を見限ったのかが見えなくなる。
彼は人類を救えない存在だと思ったから、何もしなかったわけではない。むしろ、自分が未来を決めなければならないところまで追い詰められている。
ただ、その未来を生きるのはシャア一人ではない。
地球から離れたい人も、離れたくない人も、自分では何も選べない人もいる。そうした違いをすべて取り払い、「人類は宇宙へ出るべきだ」という一つの答えへ押し込めたとき、理想は他人の未来を奪う力へ変わっていく。
人類を宇宙へ上げるため、地球を住めない場所にする
人類を宇宙へ上げたいのであれば、地球に残る人々を説得し、少しずつ移住を進める方法も考えられる。けれど、シャアはその道を選ばない。地球へ巨大な小惑星を落とし、人が地上で暮らし続けられない環境を作る。望むかどうかに関係なく、宇宙へ出るしかない状況にしてしまう。
人間の意識が変わるのを待つのではなく、環境の方を先に変える考え方だ。ここには、シャアが人間の意思をほとんど信用していないことが表れている。地球の環境が悪化していると知っても、人は便利な生活を手放さない。宇宙に暮らす人々との格差が続いても、地球に残る側は自分から立場を変えようとしない。
そう考えたからこそ、シャアにとって説得はもう意味を持たなかったのだと思う。アクシズ落としは、人類へ新しい選択肢を示す計画ではない。選択肢そのものを一つに絞り、「宇宙へ出る」以外の未来を消すための計画だ。
地球を休ませ、人類を宇宙へ移すという言葉だけを聞けば、遠い未来を考えた計画にも見える。ただ、実際にその未来を作るのは戦闘だ。小惑星を地球へ向かわせるために多くの人間が動き、そこを止めようとする側との間で命が失われていく。
シャアの理想は、人々が理解し合った先に実現するものではない。誰かが反対しても、抵抗しても、それを軍事力で押し切ることが前提になっている。人間は自分から変わらない。だから、自分が変えるしかない。
その結論へ進んだ時点で、シャアにとって他人の意思は、未来を一緒に考えるためのものではなく、計画を妨げる障害に近くなっている。地球を救うという目的があっても、そこへ至るまでに何人が死ぬのかは後回しになる。未来の人類という大きな単位を見ているからこそ、今を生きている一人ひとりが見えなくなっていく。
連邦政府の保身が、シャアの絶望を裏づける
シャアが人間を信じられなくなった理由は、彼の思い込みだけでは片づけられない。地球を守る立場にいる連邦政府の人々が、アクシズをネオ・ジオンへ渡してしまうからだ。
交渉の場では、ネオ・ジオンとの戦いを終わらせる話が進み、その条件の中でアクシズの譲渡が決まっていく。連邦政府側は、シャアが表向きに示した条件を受け入れれば、目の前の危機を収められると考えたのだろう。けれど、相手がなぜアクシズを必要としているのか、その先で何をしようとしているのかまでは見抜けなかった。あるいは、深く考えるより先に取引を成立させることを選んだようにも見える。
この場面で不気味なのは、地球を滅ぼしかねない計画の準備が、戦場ではなく落ち着いた部屋で進んでいるところだと思う。誰も大声を上げず、目の前で人が死ぬわけでもない。アクシズの模型を前に、交渉と取引が一つずつ処理されていく。
その場にいる連邦政府の人々も、地球を破壊したいわけではないはずだ。戦いを早く終わらせたい。自分たちの立場を守りたい。大きな問題をこれ以上抱え込みたくない。
そうした目の前の都合を優先した結果、シャアへ必要な道具を渡してしまう。シャアから見れば、これほど分かりやすい証明もない。
地球を守る責任を持つ人間でさえ、地球全体の未来より自分たちの都合を選ぶ。人類が自分から変わるのを待っていても、結局は同じことを繰り返す。その考えを、連邦政府自身が補強してしまった。
ただ、連邦政府の上層部が腐敗していることと、地球に暮らすすべての人間が同じだということはつながらない。シャアは権力を持つ人々の身勝手さを見て、人類全体へ同じ判断を下していく。そこに、彼の理屈が暴力へ変わる大きな飛躍がある。
地球に残る人間は、全員が特権を選んだわけではない
シャアは、地球に残る人間を「重力に縛られた側」として見ていく。確かに、地球に住み続けることのできる人々の中には、自分の地位や生活を守ろうとする者もいる。宇宙に暮らす人々との格差が続いても、その構造を変える必要を感じない人間もいるだろう。
けれど、地球にいることと、地球へしがみつく思想を選んだことは同じではない。政治に関われない人もいる。宇宙へ移る力を持たない人もいる。状況を知らされないまま、ただ毎日の生活を続けている人もいる。
道路に並ぶ車や、街にいる人々の姿には、シャアが憎んだ地球の特権階級らしさはほとんど見えない。そこにいるのは、今ある生活の中で動いている普通の人たちだ。
彼らが連邦政府の判断を決めたわけではない。宇宙に暮らす人々を苦しめる仕組みを作ったわけでもない。それでも、アクシズが落ちれば同じように命を奪われる。シャアの計画では、誰が責任を持ち、誰が何も選べなかったのかは区別されない。
地球にいるという一点だけで、同じ側へまとめられてしまう。人類全体を大きな単位で見れば、個人の事情は小さなものに見えるのかもしれない。ただ、その小さな事情の中で、一人ひとりは生活し、誰かを守り、生きようとしている。シャアは人類の未来を見ようとするあまり、今ここで生きている人間の違いを見なくなっていく。
シャアは人間が自分で変わることを諦めた
アクシズが地球へ向かう光景は、シャアの思想が言葉ではなく現実になった姿だ。人間は自分から地球を離れない。権力を持つ者は特権を手放さず、連邦政府も目の前の利益を優先する。
だから、もう人間には選ばせない。
地球を背にしたアクシズは、人類へ突きつけられた最後の選択のように見える。けれど、実際にはもう選択ではない。落下を止められなければ地球で暮らす未来は失われ、宇宙へ出るしかなくなる。シャアは人類へ決断を求めたのではなく、決断したあとに結果だけを渡そうとした。
ここが、シャアと人間との関係が完全に切れてしまったところだと思う。彼は人間の欲望や自己防衛がどれほど強いのかを知っている。そのうえで、そんな人間に未来を任せることはできないと判断する。
ただ、人が正しさでは動かないからこそ、どこへ動くのかは最後まで分からない。前の記事では、欲望や自己防衛が戦争を広げる一方、最後には敵味方を越えて人々をアクシズへ集める力にもなったことを見た。人を動かしたものから見る↗
シャアは、人間の弱さをよく知っていた。けれど、その弱さが自分の予想を越えた行動につながる可能性までは信じられなかったのかもしれない。
アムロが止めたのは、地球破壊だけではなかった
アムロも、連邦政府を無条件に信じているようには見えない。人間が身勝手で、感情に流され、同じ過ちを繰り返すことも知っている。その意味では、人類に対する見方がシャアとまったく反対というわけではない。それでも、アムロはシャアの方法を受け入れなかった。
アムロが守ろうとしたのは、連邦政府の体制そのものではないと思う。腐敗した部分があり、人間が簡単には変わらないと分かっていても、一人の人間が全員の未来を決めることは許さない。地球を失わせてはいけない。そこにいる人々が、この先どう生きるのかを選ぶ時間まで奪ってはいけない。
アムロがシャアを止める理由は、人間が正しいからではない。正しくない人間にも、間違えたあとで選び直す余地が必要だからではないか。
シャアは未来のために現在を切り捨てる。アムロは、現在を生きる人間の中へ未来を残そうとする。二人の違いは、地球を守るかどうかではない。人類の未来を、誰が決めるのかという違いにある。
地球を守る理想が、人間を切り捨てる暴力へ変わる
最後にアムロは、νガンダムをアクシズへ押し当てる。一機のモビルスーツで巨大な小惑星を押し返せるとは思えない。それでも、成功する保証を待つより先に動く。
この行動は、シャアの思想に対する長い反論ではない。人類は必ず正しくなれると証明したわけでもないし、連邦政府の腐敗が消えたわけでもない。
ただ、ここで未来を終わらせてはいけない。
その一点で、アムロはアクシズを押し返そうとする。シャアが見ていた問題は、間違っていなかったと思う。地球は人間に消費され、権力を持つ者は自分の立場を守り、連邦政府は大きな危機の前でも目先の都合を優先する。それでも、その問題を見抜いた人間が、他人の未来を決めてよいことにはならない。
シャアは地球を守ろうとした。そのために、地球で生きている人間を守ることをやめた。人類を変えるという理想は、人類に選ばせることを諦めた瞬間、強制へ変わる。そして未来を守るための行動が、今を生きる人々を切り捨てる暴力になっていく。
『逆襲のシャア』が見せたのは、理想を持つことの危険ではないと思う。自分だけが答えを知っていると考え、その答えを他人へ押しつける危うさだ。
人間がなかなか変わらないからといって、変わるための時間まで奪ってしまえば、残るのはシャアが決めた未来だけになる。アムロが止めようとしたのは、アクシズの落下だけではない。
人間の未来が、一人の絶望によって閉じられてしまうことだったのかもしれない。
関連構造
